はじめに
「ほっといてくれよ…」
夜の繁華街のゴミ箱を漁る野良犬に声をかけたら、疲れたサラリーマンのような顔でこう言い返された――。
1989年から1990年にかけて、日本中を駆け巡った都市伝説、人面犬。人間の顔を持ち、言葉を話す犬の噂は、瞬く間に小中学生から若者まで巻き込む一大ブームとなりました。
口裂け女が「恐怖」だったとすれば、人面犬は「不気味さと哀愁」。追いかけてくるわけでもなく、危害を加えるわけでもない。ただゴミを漁って文句を言うだけ。でもその姿は妙に印象的で、30年以上経った今でも語り継がれています。
ちなみに時速100キロで走れる設定なのに「ほっといてくれ」とか言ってる時点で、なんか可愛くないですか?(笑)まあ、それも含めて人面犬の魅力なんですけどね。
人面犬とは?基本ストーリー
まずは人面犬の基本設定をおさらいしておきましょう。
外見の特徴
- 体は完全に犬(中型犬サイズが多い)
- 顔だけが人間(主に中年男性の顔)
- 表情は疲れた感じ(悲哀を感じさせる)
- 白い毛並みのイメージが多い
要するに、犬の体に中年男性の顔がついてるっていう、シュールを通り越して哲学的な存在です。
目撃パターン①:繁華街バージョン
最も有名なのがこのパターン。
- 夜の繁華街でゴミ箱を漁っている
- 店員や通行人が声をかける
- 振り向いた顔が人間
- 「ほっといてくれ」と言い返して立ち去る
他にも「勝手だろ」「うるせえ」「なんだ、人間か」などの捨て台詞バリエーションがあります。
ちなみにカップルに対して下品な言葉を吐いたというエピソードもあるそうです。人面犬さん、ストレス溜まってるんですかね…?
目撃パターン②:高速道路バージョン
こちらはよりホラー寄りの設定。
- 深夜の高速道路を走行中
- 時速100キロで追いすがってくる犬がいる
- よく見ると人間の顔
- 追い抜かれた車は事故を起こす
ゴミ箱バージョンと比べると、だいぶ危険度が上がってますね。でも時速100キロって、犬の世界記録(約70km/h)を軽く超えてるんですけど…人面犬さん、アスリートかよ。
その他の設定
- 人面犬に噛まれると人面犬になる(狼男か)
- 6メートル以上ジャンプできる(もはや忍者)
- どこかに犬と顔を交換した「犬面人」がいる(シュールすぎる)
設定盛りすぎでは?っていうツッコミは野暮ってものです。都市伝説はこうやって成長していくものなのです。
人面犬ブームの歴史|メディアが作った都市伝説?
1989年8月:ブームの始まり
人面犬ブームの発端は、1989年8月1日発売のティーン向けファッション誌『ポップティーン』9月号でした。
読者からの投稿として掲載された人面犬の目撃談が大反響を呼び、編集部には続々と同様の目撃情報が寄せられるようになります。
「私も見た」「友達が追いかけられた」「◯◯のあたりを歩いていた」――手紙や電話で毎日何十件もの報告が届くようになったのです。
1989年9月〜10月:テレビ・ラジオで全国区へ
『ポップティーン』での反響を受けて、メディア展開が加速します。
主なメディア露出:
- 1989年9月20日 – フジテレビ『パラダイスGoGo!!』で紹介
- 1989年10月10日 – TBSラジオ『スーパーギャング・ティーンズダイアル』で特集
- その他 – 『微笑』『投稿写真』などの雑誌でも取り上げられる
特にテレビでの放送が決定打となり、人面犬は一気に全国区の都市伝説へと成長しました。雑誌メディアが血気盛んな時代とはいえ、やはり当時のテレビの影響力は絶大だったわけです。
1990年:ブームのピークと収束
1990年には『月刊コロコロコミック』に竹村よしひこの読み切り漫画『人面犬太』が掲載されるなど、メディアミックス展開も行われました。
しかし、あまりにも急速に広まったブームは、同じくらいの速さで収束していきます。
収束の理由:
- ブームの消費が早すぎた
- 新しいネタが出てこなかった
- 実害がないため恐怖が持続しなかった
- 次の都市伝説(人面魚など)が登場した
人面犬ブームは、まさに平成初期の「一発屋芸人」のような存在だったのかもしれません。
人面犬は「仕掛けられた」都市伝説?
実は人面犬ブームには、大きな特徴があります。
「このブームを広めた仕掛け人がいる」と明言されているという点です。
石丸元章の告白
ライター・石丸元章氏は、1993年7月発売の『Quick Japan』創刊準備号で、こう告白しています。
「人面犬はいない。自分たちが作り出したウソ」
石丸氏は編集者・赤田祐一氏とともに『ポップティーン』で特集を組み、様々なメディアにコメントしていくことで、人面犬を「単なる”コドモのウワサ”から”コドモ社会の出来事”にデッチあげる」実験をしたというのです。
赤田祐一氏の証言によれば:
「ちっぽけな記事で”人面犬”を紹介したんです。ところが、それが大反響になって、全国から情報が寄せられるようになったんです」
つまり、最初は小さな読者投稿だったものを、意図的に煽り立てて大ブームに育て上げたということですね。
的場浩司の主張
一方で、俳優の的場浩司氏も「自分が広めた」と主張しています。
テレビ番組『ダウンタウンDX』で、的場氏は「仲間内の野良犬をネタにした冗談を、知人のDJが放送で取り上げた結果、全国に広がった」と語っています。
複数の「仕掛け人」たち
さらに放送作家のYAS5000氏も、自身が小学生たちに「研究所から人間の顔を持った犬が逃げ出したんだけど、知らない?」と声をかけたら一気に広まったと証言しています。
つまり、複数の「仕掛け人」が存在し、それぞれが独自に人面犬ネタを広めていた可能性が高いわけです。
都市伝説の発生と拡散のメカニズムとしては、非常に興味深い事例ですよね。一つの噂が複数の発信源から同時多発的に広がり、それが合流して巨大なブームになった、という。
もっとも、石丸氏自身も「人面犬そのものがオリジナルの発明だった訳ではない」と認めており、仕掛け以前から草の根的に人面犬のウワサがささやかれていたことは確かなようです。
人面犬の正体|様々な説
人面犬の正体については、いくつかの説が語られています。
説①:研究所脱走説
最も有名なのが、筑波大学の研究室から逃げ出した実験動物という説。
遺伝子操作や臓器移植の実験で生まれたキメラ生物が逃げ出したというもので、チュパカブラじみた設定です。
1980年代後半はバイオテクノロジーが注目され始めた時期でもあり、「研究所で作られた怪物」という設定は時代背景にマッチしていました。
ただし、もちろん筑波大学からそんな生物が逃げ出した事実はありません。というか、人間と犬のキメラを作ること自体が倫理的に完全アウトですからね。
説②:サーファーの怨霊説
湘南で死んだサーファーの怨霊が犬に取り憑いたという説。
海難事故で亡くなったサーファーの無念が野良犬に乗り移り、人面犬になったというホラー系の設定です。
湘南という具体的な地名が出てくることで、リアリティが増す効果がありました。「友達の友達が湘南で見た」みたいな、都市伝説あるあるの広がり方をしたんでしょうね。
説③:交通事故の怨霊説
暴走族に轢き殺された飼い主と犬の怨霊が一体化したという説。
飼い主と愛犬が一緒に交通事故で亡くなり、その強い絆が怨念となって人面犬として蘇ったという、ちょっと感動的(?)な設定です。
これ、映画化したら意外と泣けるストーリーになるのでは…?
説④:映画『SF/ボディ・スナッチャー』説
1978年の映画『SF/ボディ・スナッチャー』には、実際に人面の犬が登場します。
この映像が日本の視聴者に強烈な印象を残し、それが都市伝説として再構成されたという説です。
確かに、ビジュアルイメージの形成には映画の影響があったかもしれません。人面犬を想像するときの「グロテスクだけどどこか哀れ」という雰囲気は、この映画のワンシーンに通じるものがあります。
江戸時代の人面犬?歴史的ルーツ
実は人面犬のような存在は、江戸時代にも記録されています。
『出羽妖魅異記』の記述
高橋敏弘氏の研究「怪異雑考(八)」によれば、明治元年に刊行された古文書『出羽妖魅異記』に、山形県の人面犬の記録があるとされています。
- 「妖犬」が現れて村落を全滅させた
- 山中で人面犬を目撃した狩人が面白がって追い回した
- 谷底に落とすと、翌日口から火を吹いて怒り狂った人面犬が家々に火をつけて回り大火となった
都市伝説の人面犬と比べると、だいぶ攻撃的ですね。「ほっといてくれ」どころか、村を焼き払うレベルです。
ただし、この『出羽妖魅異記』という文献自体が現在も確認できておらず、実在するかどうかも不明です。都市伝説のルーツを語る際に、新たな都市伝説が生まれているという、なんともメタな状況ですね。
1968年の『週刊少年キング』
もっと確実な記録としては、1968年発行の『週刊少年キング』18号に「世にもふしぎなお化け物」という記事があります。
パキスタンで人の顔をもつ犬が発見されたという内容で、1967年10月にゴミ溜めをあさっているところを捕獲されたとあります。毛の模様が文字に似ていたので死人の生まれ変わりではないかと言われたとか。
都市伝説の人面犬もゴミを漁る設定があるので、何らかの影響関係があるかもしれません。
ちなみに、現在でもパキスタンのカラチ動物園には「人面キツネ」なる見世物が公開されているそうです。真相は不明ですが、気になりますね…。
人面犬の派生・類似生物
人面犬ブームと同時期に、様々な「人面系」の都市伝説が登場しました。
人面魚
人面犬と同時期に大ブームとなったのが人面魚です。
こちらは都市伝説というより実在する生物で、人間の顔のように見える模様を持つ鯉のこと。山形県のお寺の池で発見され、テレビで大々的に報道されました。
人面犬が「作られた都市伝説」だったのに対し、人面魚は「実在する不思議な生物」だったわけです。でも、鯉の模様が人の顔に見えるだけって、冷静に考えるとそこまで珍しくないような…?(笑)
くだん(件)
人間の顔を持つ牛として、古くから語られてきた伝承生物。
生まれてすぐに予言を残して死ぬという設定で、人気漫画『地獄先生ぬ〜べ〜』にも登場しました。
人面犬と比べると、遥かに歴史があり、また「予言する」という明確な役割を持っているのが特徴です。
ロビスオーメン(南米)
海外にも人面犬的な存在はいます。
南米の伝承にある**人間の顔をした狼「ロビスオーメン」(またはロビソン)**がそれ。
噛まれた人間も同じくロビスオーメンになってしまうという伝承があり、この点は日本の人面犬にも引き継がれています。狼男伝説と人面犬の融合ですね。
人面犬とメディア|漫画・アニメでの登場
人面犬は様々な作品に登場しています。
『うしろの百太郎』の霊犬ゼロ
1973年に連載開始したつのだじろうの怪奇漫画『うしろの百太郎』には、時々人間のような顔になる霊能犬「ゼロ」が登場します。
テレパシーで主人公と会話ができる設定で、これが人面犬のルーツの一つとも言われています。
ただし、ゼロは完全に味方キャラで、ゴミを漁って文句を言うような存在ではありません。むしろカッコいい相棒ポジションです。
『月刊コロコロコミック』人面犬太
1990年10月号に掲載された竹村よしひこの読み切り漫画『人面犬太』。
人面犬ブームの真っ只中に発表された作品で、タイトルからして完全に便乗企画ですね(褒めてます)。
ゲームでの登場
- 『真・女神転生』シリーズ – 悪魔として登場
- 『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』 – 敵キャラとして登場
- 『学校であった怖い話』 – 都市伝説モチーフとして登場
人面犬は「弱めの雑魚敵」として使われることが多いですね。時速100キロで走れる設定はどこいった…?
なぜ『ゲゲゲの鬼太郎』第6期には登場しなかった?
興味深いことに、口裂け女やトイレの花子さんが登場した『ゲゲゲの鬼太郎』第6期では、人面犬は登場しませんでした。
推測ですが、「刃物を持って追いかけてくる、限りなく人間に近い姿の妖怪」という点が、子ども向け作品での描写が難しかったのかもしれません。
いや待って、人面犬って刃物持ってないし追いかけてこないんですけど…。むしろ一番無害なのでは?制作サイドが口裂け女と混同してたりして(笑)
人面犬が愛される理由|哀愁と親しみやすさ
人面犬が30年以上経った今でも語り継がれている理由を考えてみましょう。
①:攻撃性がない
口裂け女は「追いかけてきて切り殺す」、テケテケは「引きずり込んで殺す」といった明確な攻撃性がありました。
一方、人面犬は基本的に無害です。ゴミを漁っていて邪魔されたら文句を言うだけ。高速道路バージョンでも、追い抜かれた車が事故を起こすだけで、人面犬自身が攻撃するわけではありません。
この「無害さ」が、逆に親しみやすさを生んでいるのかもしれません。
②:サラリーマン的哀愁
「ほっといてくれ」「勝手だろ」といった台詞から漂う、疲れた中年男性感。
バブル崩壊後の不景気な時代に、社会の片隅でひっそりと生きる存在として、人面犬は多くの人に共感を呼んだのかもしれません。
ゴミを漁って生活する姿は、まさに社会の底辺で必死に生きる人間の比喩とも取れます。深読みしすぎですかね?(笑)
③:シュールな笑い
冷静に考えると、人面犬ってめちゃくちゃシュールですよね。
犬の体に中年男性の顔。時速100キロで走れるのにゴミを漁る。追いかけられても「うるせえ」と言われる。
このシュールさが生むユーモアが、人面犬の大きな魅力です。怖いというより、なんか笑えてくる。そして笑った後に、ちょっと切ない気持ちになる。
④:「作られた感」の透明性
人面犬は「仕掛け人がいる」ことが明言されている珍しい都市伝説です。
普通、都市伝説は「本当にあった怖い話」として語られるものですが、人面犬は「作られた噂だけど、それでも面白い」という、メタ的な楽しみ方ができる存在になっています。
この透明性が、逆に人面犬の寿命を伸ばしているのかもしれません。
コロナ禍以降の人面犬
2020年以降のコロナ禍では、人面犬にも変化が訪れました。
といっても、口裂け女ほどの影響は受けていません。なぜなら、人面犬はもともとマスクをしていないからです(当たり前)。
むしろ、マスクをしない生物として、ある意味で目立つ存在になったとも言えます。
「街でマスクしてない奴見たんだけど、よく見たら犬だった。いや顔は人間なんだけど…」
みたいな新しい目撃談が生まれてもおかしくないですね(笑)
なぜ人面犬ブームは短命だったのか
人面犬ブームは、口裂け女と比べると遥かに短命でした。
恐怖が持続しない
口裂け女は「子どもに危害を加える可能性のある人間」として、実害のある恐怖を提供しました。
一方、人面犬は「不気味だけど無害」。恐怖として消費するには物足りなかったのです。
ビジュアルが固定されすぎた
「中年男性の顔をした犬がゴミを漁る」というビジュアルが固定化されすぎて、バリエーションが生まれにくかったという問題もあります。
口裂け女は「整形失敗説」「精神病院脱走説」など、時代に合わせて設定が追加されていきましたが、人面犬はそこまでの進化を遂げませんでした。
「仕掛けられた」ことの露呈
石丸元章氏が「作り話だった」と早々に暴露してしまったことも、ブームの短命化に影響したでしょう。
「ああ、やっぱり嘘だったんだ」と冷めてしまった人も多かったはずです。
でも、それでいい
ただし、短命だったからこそ、人面犬は**「平成初期の一瞬の輝き」**として記憶に残る存在になったとも言えます。
長く続きすぎると陳腐化してしまいますが、短く太く燃え尽きたからこそ、30年後の今でも「ああ、人面犬ね!」と多くの人が思い出せる都市伝説になったのです。
まとめ|人面犬が教えてくれること
人面犬の都市伝説は、現代社会に多くのことを教えてくれます。
①:メディアと情報拡散
人面犬ブームは、メディアが意図的に作り出した社会現象の典型例です。
小さな読者投稿が、雑誌・テレビ・ラジオを経由して全国規模のブームになる。この情報拡散のメカニズムは、現代のSNSでのバズとも共通しています。
ただし、1990年当時と現代の大きな違いは、情報の検証可能性です。現代ならすぐに「デマだ」「作り話だ」とネットで暴かれてしまうでしょう。
②:都市伝説の消費サイクル
人面犬の短命さは、都市伝説にも消費サイクルがあることを示しています。
急速に広まったものは、急速に消費される。逆に、口裂け女やトイレの花子さんのように、ゆっくりと浸透したものは長く語り継がれる。
これは商品やコンテンツの寿命とも共通するメカニズムですね。
③:社会の不安の投影
人面犬が生まれた1989年は、昭和が終わり平成が始まった激動の年でした。
バブル経済の絶頂期でありながら、その崩壊の予兆も感じられる時期。そんな時代に「ゴミを漁る人面犬」という存在が生まれたことは、社会の不安や閉塞感を反映していたのかもしれません。
④:「作られた神話」の透明性
人面犬は「仕掛け人がいる」ことが明言されている稀有な都市伝説です。
これは、神話や伝説がどのように生まれ、拡散し、消費されるかを可視化した貴重なケーススタディと言えます。
学術的には非常に価値のある事例なのです。(真面目か)
さいごに
「ほっといてくれよ…」
夜の街角で、疲れた表情でゴミを漁る人面犬。
もし本当に出会ったら、あなたはどうしますか?
声をかけますか?それとも静かに立ち去りますか?
個人的には、そっとしておいてあげたいですね。だって「ほっといてくれ」って言ってるんだし(笑)
人面犬は、30年以上前に一瞬だけ日本中を駆け巡り、そしてすぐに消えていきました。
でも、その哀愁漂う姿は、今でも多くの人の記憶に残っています。
時速100キロで走れるのに、ゴミを漁って文句を言うだけ。攻撃もせず、ただひっそりと生きている。
そんな人面犬の姿に、私たちは何を見るのでしょうか。
もしかしたら、社会の片隅で必死に生きる自分自身の姿なのかもしれませんね。
信じるか信じないかは、あなた次第です。
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